超人機

第二次世界大戦中、日本軍の起死回生のために古賀博士によって作られたアンドロイド。流星の姿は、神風特攻隊で戦死した博士の息子である古賀竜夫の姿をモデルにしている。そのパーソナリティも竜夫がモデルとなっており(妹尾の二役)、ヴァイオリンを愛した竜夫と同様に音楽を趣味としている。ラプソディとの戦いで名器ストラディバリウスを壊すことはできなかった。また、流星の場合はサックスを演奏することもあり(妹尾自身がサキソフォン演奏が趣味で特技)、彼なりの「自我」があり、決して全てが竜夫のコピーではない。

古賀博士が発見した超重力エネルギー「KOGA-X」の力を使って戦う。流星の怒りと感情が最高潮に達すると、「怒る!」(「いかる!」)の掛け声とともにメタルダーへと瞬転する。大半は流星が戦いの最中瞬時にメタルダーに変身するという演出が多く、サイドファントムの運転目的だけでメタルダーになることもあった。

怖いCM

古い記憶の底に、恐怖のCMがいくつかある。

ACのものに怖いものが多い。

キッチンマザー、あよね等。

非AC系では、

ケンミンの焼きビーフンは、薄暗い街を背景に子供二人が不気味な目でこっちをずっと眺め続けており、猫の鳴き声だけが入りながら、最後にようやくビーフンについて語り始める。

トリスウィスキー では、ガンコ親父の怖い顔と怒り声は、多くの視聴者に恐怖を与えてしまった。

クリネックスの赤鬼編は、都市伝説があったから怖かったのであって、そんなに不気味な感じもしないと思う。

 

ハイチ

正式名称は、ハイチ語で Repiblik d Ayiti(レピブリク・ダイチ)、標準フランス語で République d’Haïti (レピュブリク・ダイティ)。通称、Haïti (アイティ)。

公式の英語表記はRepublic of Haiti(リパブリク オヴ ヘイティ)。通称、Haiti(ヘイティ)。

日本語の表記は、ハイチ共和国。通称はハイチ、漢字では海地と表記される。なお、「ハイチ」とは“Haiti”の訓令式ローマ字読みであり、現地では通用しない。

「ハイチ(アイティ)」は、先住民族インディアン/インディオのアラワク系タイノ人の言葉で「山ばかりの土地」を意味し、独立に際してそれまでのフランス語由来のサン=ドマングから改名された。

イースタン・リーグ

1955年のリーグ戦は毎日の優勝。また開幕と並行してトーナメント戦が行われ、こちらは大洋が優勝していた。さらにリーグ内の7チームをセントラル・リーグとパシフィックリーグに分けて、第一回オールスターゲームも行われた。なお新日本リーグ自体は並行して開催されていたが、試合が消化できず中断となった。

しかし、母体となった関西ファーム・リーグとほとんど変わらなかったウエスタン・リーグに対し、新規参加のチームが多かったイースタン・リーグは興行の方向性や選手不足の問題があり、1956年から1960年まで一時中断を挟んだ。故に、現在の公式記録上では1955年の情報はほとんど扱われておらず、第一回オールスターゲームもウエスタン・リーグとの合同で行う現在のフレッシュオールスターゲームとは全く無関係の扱いである。

NHK今日の出来事

日本初の民放テレビ局として1953年8月28日に開局してからまだ1年余りしか経っていなかった日本テレビで1954年10月4日に本番組は始まった(当初は平日のみで、1958年4月5日の週末スタート以降は全日放送)。ラジオ南日本【現・南日本放送】から日本テレビに移籍したアナウンサーの小林完吾や、女性ジャーナリストの櫻井よしこなど、数々のキャスターを世に送り出した。

終了時点における本番組はNNN加盟30局がネットする唯一の番組となっており、沖縄県を除く46都道府県で放送されていた。スポンサーは月曜日から金曜日まではテレビ宮崎を除く29局はスポンサードネット(全国ニュースのみ)になっていた。1990年代中期から2000年代中期にかけての金曜日はスポンサーのなかった時期もあった。なお、土曜と日曜については、一時マストバイ局や一部の非マストバイ局のみのスポンサードネットが実施されていた時期があった(当時はスポンサードネットでない地方局が提供クレジットを隠すためにオープニング映像を差し替えるということもあった)が、末期は全ネット局ともオールスポット扱いとなっているため、土曜と日曜は、全ネット局にスポンサーがなかった。

流政之

1923年長崎県に生まれ、幼少時代は東京で過ごす。1936年京都に移り、1942年立命館大学法文学部へ進学。その後中退し、海軍予備学生出身の零戦搭乗員として終戦を迎える。その後、世界各地を放浪、独学で彫刻を学び現在に至る。1964年にニューヨーク世界博覧会で壁画「ストーンクレージー」(日本から2500個、600tの石を運んだ。)を展示し話題を呼ぶ。1975年には、ニューヨーク世界貿易センターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』をつくり国際的評価を得る。

また、作品『受』はニューヨーク近代美術館の永久保存作品(パーマネントコレクション)として収蔵されており、彼の国際的評価の高さを裏付けている。1967年には、TIMEが選ぶ日本を代表する文化人の一人に選ばれた。

UFJ

旧UFJの前身である三和銀行の流れを引き継ぎ、大阪市・京都市・堺市の指定金融機関となっている(大阪市はみずほ銀行・三井住友銀行・りそな銀行との4行による輪番制)。また、同じく旧UFJの前身である東海銀行の流れを引き継ぎ、愛知県および名古屋市・豊橋市の指定金融機関となっている。一方、旧BTMはいずれの都道府県・政令指定都市の指定金融機関にもなっていなかったが、東京都の公営企業出納取扱金融機関(東京都交通局等)を旧第一勧業銀行・旧富士銀行とともに引き受けていたことから、現在もみずほ銀行とともに共同で引き受けている(ただし、みずほ銀行は東京都の指定金融機関でもある)。

映画芸術科学アカデミー

映画芸術科学アカデミー(えいがげいじゅつかがくアカデミー、Academy of Motion Picture Arts and Sciences、AMPAS)は、映画産業における芸術と科学の発展を図るため、アメリカ合衆国などの映画業界人たちによって結成されている団体である。ロサンゼルスとビバリーヒルズに本拠を置き、アカデミー賞の選考・授与、映画文化・映画教育・映画技術の研究に対する助成などを行っている。

アカデミーの会員は、映画業界のプロフェッショナル6,000人以上からなっている。そのメンバーの大多数はアメリカに拠点を置いているが、会員にふさわしい業績をあげた映画人なら国籍・居住地に関係なく会員となれる。2004年の時点では、36か国からの劇場用映画に関わる映画人が会員となっている。

アカデミーは毎年のアカデミー賞(オスカーの俗称がある)の開催で世界に知られている。その他、映画を制作する大学生や大学院生に対して「学生アカデミー賞」(Student Academy Awards、1973年開始、1975年より毎年)を授与し、毎年5人までにニコル映画脚本フェローシップ(Nicholl Fellowships in Screenwriting)を授賞している。またビバリーヒルズでマーガレット・ヘリック図書館(Margaret Herrick Library)を、ハリウッドでピックフォード映画研究センター(Pickford Center for Motion Picture Study)を運営している。

ダラス

同市の名前は第11代副大統領ジョージ・ダラスに因んで命名された。テネシー州の政治家、ジョン・ニーリー・ブライアンが入植し、一帯で栽培される綿花の集散地として発展させた。その後、1872年には南北を結ぶMKT(ミズーリ・カンザス・テキサス)鉄道、翌年にはカリフォルニアパシフィック鉄道が開通したことにより、内陸の交通要衝として発展した。

20世紀になってテキサス東部で油田が発見され、市況は大いに潤った。また同年代に航空機産業誘致に成功し、とりわけ軍用機産業が発展、中南部最大の都市としてめざましい発展を遂げた。しかし、戦後の1963年11月22日にダラスで遊説中にケネディ大統領暗殺事件が発生すると、その汚名は世界中に知れ渡ることになり、「city of hate」(嫌われ者の都市)のレッテルを貼られてしまった。ところが1970年に国際的な原油価格の高騰の恩恵を受け、市経済は再び活況を取り戻した。

ジョン・ハワード

シドニー郊外のアールウッドで生まれ育ち、アールウッド公立学校へ通った。彼はイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルにちなんでウィンストン, Winstonのミドルネームを付けられた。父ライエル・ハワードと父方の祖父Walter Howardは両人とも第一次世界大戦でFirst AIF, First Australian Imperial Force(オーストラリア帝国軍)の退役軍人だった。

ジョン・ハワードは青年期聴覚障害によるわずかな言語障害を持ち、この点でウィンストン・チャーチルと同じである。